★ 三人と一匹、道場にお泊まりするの巻 ★
クリエイター西向く侍(wref9746)
管理番号252-2128 オファー日2008-02-17(日) 23:44
オファーPC 須哉 逢柝(ctuy7199) ムービーファン 女 17歳 高校生
ゲストPC1 レイド(cafu8089) ムービースター 男 35歳 悪魔
ゲストPC2 ルシファ(cuhh9000) ムービースター 女 16歳 天使
<ノベル>

☆待ち合わせは銀幕広場で☆

 春間近にして未だ寒々とした夕刻。ひとりの少女が銀幕広場の噴水のへりに座って、携帯電話をいじっていた。
「おっかしーなぁ」
 しかめっ面で、ボタンに親指を走らせる。
 その形状は最近流行りのスタイリッシュな薄型ではなく、無骨な感じのする二昔ほど前の型だった。しかも、乱暴に扱っているのか、動いているのが不思議なくらい至る所に傷がある。とても女の子の携帯とは思えない。
 女の子に見えないといえば、彼女の外見も同じだった。ブルーのジーンズに黒のジャンパー、髪型もショートカットと呼ぶには少々短すぎる。
 だが、本人はまったく気にしていない様子だ。むしろ男性というカテゴリーに入れれば格好いい部類なのだから、周囲の者(特に女子)にとってはそれはそれでいいのかもしれない。
「待ち合わせの時間、間違えてないよなぁ」
 彼女はもう一度友人からのメールをチェックしているところだった。ところが、携帯の動作がおかしい。ボタンを押しても反応しなかったりする。
 そこに明るい声が駆け寄ってきた。
「逢柝お姉ちゃーん! お待たせー!」
 ひとりの少女がめいっぱい手を振っていた。薄手のコートの襟ぐりと袖口にふわふわのファーが揺れている。小さな背中からは、巨大なリュックがはみ出していた。
 逢柝と呼ばれた少女は、でれでれと言っても過言ではない笑顔でそれを迎えた。
「ルシファ、元気みたいだな」
 ルシファは「うん!」とうなずいて、逢柝の隣にぴょんと腰を下ろした。彼女は『願い』という映画から実体化した、いわゆる天使だった。
「えへへ。今日はおうちに呼んでくれてありがとう」
「気にすんなよ。あんな師匠でも、いなきゃ少しは寂しいからな。ルシファが来てくれたら嬉しいよ」
 逢柝は須哉道場という空手道場に師匠といっしょに住んでいる。今夜は師匠が所用で外泊するので、妹のような存在のルシファを家に誘ったのだ。
「じゃあ、さっそく買い物に行くか」
 道場ではなく銀幕広場での待ち合わせを提案したのは逢柝だ。どうせなら夕飯の買い物をしてから、道場に行った方が効率が良いと思ったのだ。
 逢柝が立ち上がりながら携帯を閉じようとする。
「あれ?」
「どうかしたの?」
 差し出された手の平に自分の手の平を重ねながら、ルシファが首をかしげた。
「画面が真っ黒になっちまった」
 ルシファがのぞき込むと、携帯の液晶は暗く塗り潰されていた。
「こないだ、投げつけたのがマズかったかなぁ」
 さらりと恐ろしいことを口にする。
「もっかい投げたら直るんじゃない?」
 さらに恐ろしいひと言を発する天使。
「うーん、どうだろう? よし、やってみっか」
 投げた。
「ぐはっ!」
 当たった。
 噴水脇の茂みから、よろよろと現れた人影がある。黒い眼帯をした長身の男だった。
「くっ……出会い頭に携帯を投げつけるとは、どういう了見かな? 逢柝くん? ん?」
 丁寧な口調で、笑顔すら浮かべているものの、口角がぴくぴくと痙攣している。痛ましいのは、朱に染まった鼻っ柱とそこから流れる赤い血潮だ。右手には逢柝の携帯が握られていた。
「あれ? いたの?」
「『いたの?』じゃねー! てめぇ、わざと当てやがっただろ?!」
「わりぃ、わりぃ。そんなところにおっさんがいるなんて思わなかったんだ。たまたまだよ、たまたま。投げたら、そこにちょーどおっさんがいたってわけだ」
 逢柝は悪びれた風もなく、凶悪なオーラを発する眼帯の男に向かって肩をすくめてみせた。
「嘘つけぇ! どうやったら狙いもせずにこれだけクリーンヒットさせられるんだ?!」
「無意識ってやつかな? 危険を感じ取る本能っての? ほら、あたしって闘争本能の塊みたいなところあるし」
「ぐっ! 人を危険人物みたいに言いやがって……」
 眼帯の男がわなわなと身体をふるわせる。片目が鋭い殺気を放ったとき、逢柝の隣にいたルシファが地を蹴った。
「わーい! レイドだっ!!」
「げぼはっ!!」
 ルシファが純白の弾丸と化して、眼帯男――レイドのみぞおちを貫いた。彼女にしてみれば、好きだから抱きついているだけ、単なる愛情表現なのだが、日に日に威力を増していくラブ・アタックにレイドの身体はついていけなくなりつつある。
 それでもなんとか踏みとどまり、レイドは精一杯の笑顔でルシファに応えた。
「や、やぁ、ルシファ。こんなところで会うとは奇遇だな」
「嘘つけっ! このストーカー!!」
 逢柝が素早くツッコんだ。
「嘘とはなんだ。失礼な。俺はただ、こそこそと身を隠しながらルシファのあとをついてきただけだ」
「それがストーカーだっつーの!!」
「ふたりともケンカはやめて」
 ルシファが、か細い声で瞳をうるませた。それだけで、逢柝もレイドも、にへら〜っと笑み崩して謝った。
「せっかくだから、レイドもいっしょにお姉ちゃん家に行こうよ。逢柝お姉ちゃんもいいでしょ? ね?」
「はぁ? なんで俺がこいつの家に?!」
「はぁ? なんでこいつがあたしの家に?!」
 同時に眉をひそめ、悲しそうなルシファの表情に、またもや同時に「いいぜ」と答える。
「やったー! じゃあ、まずは買い物だね」
 鼻歌交じりで明るく歩き出すルシファ。「しょうがないな」と顔を見合わせ、あとを追いかける二人。
「ぐへっ!」
 レイドだけがその場にうずくまった。
「ん? どうしたんだ、おっさん?」
「ちょ、こ、腰が……」
 どうやら度重なるラブ・アタックによって腰痛が悪化したらしい。レイドは片手を地面に、もう一方の手で腰のあたりを押さえたまま苦しんでいる。
 苦悶するレイドに、逢柝はさらりと言った。
「そっか。じゃあ、仕方ねぇな。ルシファ、行こうぜ」
「置き去りかよっ!」
「レイドはいっしょに行かないの?」
「ああ、レイドは突然、腕立て伏せがしたくなったらしい。先に行ってようぜ」
「そっか。じゃあ、しかたないね」
「あっさり信じてるっ?!」
 逢柝とルシファの背中が遠ざかる。レイドは焦燥感と危機感を必死こいて募らせた。ルシファに悪い虫(逢柝?)をつけるわけにはいかない。彼は彼女を守ると誓ったのだ。それは何者にも、神にすら譲れぬ想いだった。
「ふっ……この俺の治癒能力を甘くみるな」
 誰にとはなくつぶやく。ルシファと同じく映画『願い』から実体化したレイドの正体は、実は悪魔だ。ゆえに、人にはない能力が備わっており、人間の数倍の早さで傷が治るのだ。
 レイドが親指で鼻先をなぞると、すでに血は止まっていた。逢柝が耳にしていたらきっと「あっと言う間に鼻血が止まるってか? これまた、ちゃっちー治癒能力だな、おい」とでも言ったことだろう。
「ちゃっちーかどうかはこれを見て言えっ!」
 妄想の世界の逢柝に返事をしながら、いま悪魔が立ち上がる。
「ぬぅおおおおおおおおっ! これしきの傷! 悪魔の治癒能力の前では――」
 ぐぎっ!
 がくり……
 再び突っ伏したレイドの背中と後頭部を優しい風が撫でていく。
 レイドの能力は、ルシファには効かなかったようだ。映画『願い』の設定によると、天使を殺せるのは悪魔のみ、悪魔を殺せるのも天使のみ、ということらしい。



☆買い物はスーパーまるぎんで☆

 スーパーまるぎんの店内は、あふれんばかりのおばちゃんたちにより、いつもどおりの賑わいを保っていた。某国産の食品に農薬が入っていようが、牛肉と偽って豚肉をつかまされようが、ここではあまり関係ないらしい。まるぎんで販売している商品には、もっと危険極まりないものが混じっていることがある……らしい。そのことに彼女らが慣れているからかもしれない。もちろんそれ以上に、危険性(?)を無視してまで、スーパーまるぎんに群れる確かな理由はある。
「まるぎんは、やっぱ安いよな」
 逢柝は非常に慣れた手つきで、手際よく必要なものだけを買い物カゴに入れていく。主婦さながらの鋭い観察眼で、消費期限や生産地、痛み具合などもチェックしていた。ルシファはカートを押しながらついていくだけで精一杯だ。
 必要なものだけを買う。言ってしまえば当たり前のことなのに、実行するになんと難しいことか。現にルシファは、
「ねーねー、お姉ちゃん、アイス買おうよ」
 と、明らかに余計なものを買おうとしていた。
「ダメだよ」
 いつもは優しいお姉さんから、思った以上に強い口調で拒否されたため、ルシファはしゅんとうなだれてしまった。逢柝はがしがしと頭をかくと、ルシファにゆっくりと言い聞かせた。
「これはさ、うちの師匠が言ってたんだけどな。武道ってのは身体だけを鍛えるものじゃないんだ。心も鍛えてこそ、真の武道家になれるんだよ。だから、欲望に打ち勝つことだって修行のうちなんだ。そして、心の修行ってのは武道家でなくてもいずれ役に立つものなんだ」
 ルシファは少しの間怪訝そうにしていたが、最後には「うん」と元気に首肯した。逢柝はわかってくれたことが嬉しくて、今度はルシファの頭を優しく撫でた。
「ま、師匠の受け売りだけどね。さてと、豚コマにトマトにホウレンソウに、あとは……」
「あとは、こいつだ」
 言うが早いか、レイドが山菜の類をどさりとカゴに積んだ。
「わぁ! レイドだ! 腕立て伏せは終わったの?」
 無邪気に訊いてくるルシファに、レイドは「あ、ああ」と曖昧な反応をした。
「ちっ。いつの間に追いついてきたんだ? 腰はもう大丈夫なのかよ?」
 逢柝が白々しく問う。
「最初の舌打ちはなんだ、舌打ちは! この俺の治癒能力を甘くみるなよ」
「治癒能力ったって、どうせ鼻血が止まったとかなんとか、その程度のちゃっちーもんじゃねぇの?」
「ぐぉっ! おまえは、俺の妄想の国からやって来たのか?!」
「意味わかんねぇよ」
「とにかく、俺のスペシャル山菜鍋を食わせてやるから、この山菜も追加だ」
「もちろん、その分は自分で払うんだろうな? え?」
 逢柝が半眼ですごむと、レイドは雷に打たれたように直立不動で固まった。ごそごそとポケットを探りはじめる。中から財布を取り出し、そっと後ろを向いて中身を確認し、ようやく自慢げに胸を張って言った。
「当たり前だ」
「その態度は大人としてどうよ……」
「だって、レイドはいっつも『お金がない、お金がない』って言ってるもんね!」
 ルシファのイイ笑顔が、レイドの胸に容赦なく突き刺さった。
「どうせ侍さん家に居候してんだから気にすることないんじゃね?」
 逢柝のあざけりすら含んだ物言いに、レイドが憤慨する。
「しょ、食費くらい入れてるぞ! そう言うおまえだって居候じゃないか!」
「あたしは、あのクソババァ(師匠)のために家事全般こなしてんだよ!」
「だめーっ! 二人ともケンカしないでって言ってるでしょ」
 ルシファは、そう叫んだあと、唇を噛んでうつむいた。ふるふると肩が震えているのは涙をこらえているからだろう。レイドの顔面からさっと血の気が引いた。逢柝もばつが悪そうに目をそらしている。
 レイド、そして逢柝がルシファに謝ろうとしたとき、それは起こった。
「ちょっとあんた、小さい子泣かしちゃだめでしょ」
 ドスの利いた声が二人の背後から迫りくる。ぎょっとして振り向くと、ひとりのおばちゃんが腹を揺すりながら近寄ってきていた。
「まっ! あんな可愛い子を泣かすなんて!」
 気が付くと逆側からも別のおばちゃんが攻めてきている。
「きっと変態よ、変態。警備員呼びましょ」
「警備員じゃ生ぬるいわ。警察よ、誘拐の容疑でつきだすのよ」
 口々に好き勝手しゃべりながら、東西南北すべの方角から押し寄せる肉の壁、壁、壁、壁、壁。ルシファの嗚咽が、まるで召還の呪文のように店内に響き、おばちゃんたちが無尽蔵にわいて出る。
 レイドも逢柝もただただ唖然とするしかなかった。
「ちょっと待ってください。俺はこの子の保護者なんです。変態とかそんなんじゃないですから」
 ようやく我に返ったレイドが必死に言い募った。
「まぁ、たいていの犯罪者はそういう嘘をつくわよねぇ」
「ワイドショーで鍛えた、あたしたちの目をごまかせると思ってるのかしら!」
「そもそも、眼帯がかっこわるいわ」
「ええっ! いきなり俺のトレードマークから全否定っ?!」
 おばちゃんたちの包囲網は揺るがない。
「たしかに、このかっこわるい眼帯男は変態かもしれないけど、あたしは違う」
 今度は逢柝が説得を試みる。「前半は余計」と言いかけたレイドは無視だ。
 おばちゃんたちに動揺が走った。逢柝のことをどっかのイケメン男子学生かと思っていたら、どうにも様子が違う。一人称や声音から、逢柝が女性だと気づいたのだ。
「まぁ! 女の子なの?!」
「女の子が女の子を誘拐?!」
「禁断ね、禁断の扉ね!」
 話がまた違う方向へ飛んでいく。
 困り果てた二人に残された手段は、説得する相手を変えることだった。
「なぁ、ルシファ。この人たちに説明してくれよ。俺たちは怪しい者じゃないって」
 レイドがなだめすかすが、ルシファはしゃくりあげるだけだ。その間にもおばちゃんたちの輪が狭まってくる。舌なめずりと「食べちゃいましょうよ」という、どういう意味にとっていいか激しく悩むような言葉すら耳に飛び込んできた。
 蒼白になった逢柝がルシファの肩をつかんだ。
「る、ルシファ! アイスを買いに行こう!」
「おまえ、さっき欲望に打ち勝つのがどうとか格好いいこと言ってなかったか?」
「黙れ、変態。今はそれどころじゃないだろ?」
「だから、前半は余計だっつーの」
「やったー! アイスだ、アイスだ!」
「って、あっさり懐柔されんのかよっ!」
 ぱーっと雲間から陽が差すように、ルシファの顔が輝き、おばちゃんたちのふくふくした顔にも笑みが生まれた。
「ありがとう、おばちゃんたち!」
「いいんだよ。また困ったことがあったらいつでも呼びな」
 手を振るルシファとぞろぞろと帰っていくおばちゃんたち。本当にルシファとおばちゃんたちに召還契約が結ばれたんじゃないかと不安になる、レイドと逢柝だった。
 ちなみに、買い物をすませて店を出ると、こちらこそ本物の召還獣であり、レイドの相棒でもあるケルベロスのヴェルガンダが地面にへばっていた。
「あれ? くろちゃん、どうしたの?」
 ルシファが撫で撫でしながら問うと、ヴェルガンダは力なく喉を鳴らした。
「どうせ腰を痛めたご主人様をここまで引っ張ってきたとかじゃねぇの」
 逢柝がにやりとレイドの方を見ると、買い物袋をさげたレイドは白々しく口笛を吹きはじめた。
「さ、さっさと道場へ行こうぜ」
 どうやら図星だったらしい。
 
 

☆お風呂は肩までつかって十かぞえて☆

 レイドは台所で山菜をざっくざっく切りながら物思いにふけっていた。
 まさか自分がこんなところで山菜鍋を作ることになるとは思いもよらなかった。銀幕市に実体化してしばらくは、ルシファ以外に知り合いもなく、市役所にあてがわれた仮住居で無為に時を過ごしていた。
 映画という枷がなくなってしまったら、なにをしていいのかまったくわからなくなってしまったのだ。自由にしていいと言われても、自由など想像したこともなく。ここでは悪魔として迫害されないという事実も、即幸せに繋がるかと思ったが、そうでもなかった。単に不幸ではないという消極的な状況になっただけ。
 それでも、ルシファを幸せにしてやりたい。その想いだけはしっかりと心の中心にあった。
 今はどうだろう?
 彼とルシファには、いつしか心を許しあえる友人ができていた。触れ合ううちに、生活を共にすることになった家族めいた者たちだっている。口にするには羞恥が勝ち過ぎて、はばかられるが、逢柝だって大切な友人のうちの一人だ。
 しかし、しかしだ。それはすべてルシファが自分自身の力でつかんだものではないだろうか? 彼を虜にした、持ち前の、明るくめげない性格で、手に入れた関係性ではないか。
 自分はいったいなにができたのか? もしくは、なにができるのか? 果たして、ルシファにとって自分は必要な存在なのか?
 はてしなく疑問が渦を巻く。
「なぁ、ヴェル。俺はどうしたら……」
 足元でうずくまる相棒に呼びかけようとして――
「レイドー! お風呂あがったよー」
 とてとてと足音を立てるルシファを振り返った。
「ぐふぇっ!」
 のけぞったレイドの鼻から本日二度目の血流がほとばしる。
「どうしたの?」
 きょとんとしているルシファは、シンプルな白のパジャマを羽織っていた。着ているのではなく、ぶかぶかのパジャマを羽織っているのだ。腕も足も裾を折り曲げてあるが、それでも長すぎて小さな手の平や、可愛らしい踵が隠れている。上着は腰のあたりまであり、胸元は少し広くはだけられていたが、肩にかけたタオルが絶妙の位置で、鎖骨と、うなじに続く曲線を隠しきっていた。
「そ、その、パジャマは?」
「これ? えへへ。お姉ちゃんに貸してもらったんだよ。パジャマ、忘れちゃって」
 舌を出すルシファ。鼻血を出すレイド。
「その格好は、反則だから……」
 ルシファの頭上ではハテナマークがくるくる踊っていた。
「よぉ、変態。ロリコンの本領発揮か?」
 同じパジャマを着た逢柝が、にやにやしながらやって来た。
「ロリコンじゃねぇ! これしきの傷、俺の治癒能力の前では!」
「また同じネタかよ。もうツッコまねぇぞ」
「…………」
「それよか、さっさと風呂入っちまえよ」
 レイドが大人なのに泣きそうになりながら、風呂場へ駆けていく。忠実なる相棒のケルベロスもあとをついていった。
「ったく、あれで保護者のつもりなんだからな」
「レイド、どうしちゃったのかな?」
「涙が出るくらい早く風呂に入りたかったみたいだな。それより、髪を乾かしてやるからこっち来いよ」
 逢柝は居間の畳のうえにあぐらをかくと、ルシファを手招きした。「わーい」とルシファが逢柝の足のうえにちょこんと座った。
「あんまり近づくなよ。乾かしにくいだろ」
「だって、お姉ちゃん、良い匂いがするんだもん」
 そう言って、くんくんと鼻を鳴らす。逢柝は「そうかぁ?」と自分の腕の匂いをかいでみた。特にふつうだ。
「お母さんって、こんな匂いがするのかな?」
「はぁ? な、なに言ってんだよ?」
 唐突な台詞に頬が紅潮してしまう。
「ごめん。なんでもない」
 ルシファはむこうを向いている。だから表情はうかがい知れない。だが、口調から暗いものを感じ取り、逢柝はほっとため息をついて苦笑した。ルシファの白い髪を優しく指で梳かす。
 ルシファは母親というものを知らない。だから当然、一口に母親といっても様々な者たちがいることも知らない。逢柝は自分の母親を思い出しかけ……頭を振って、浮かんだイメージを追い払った。
「お母さんってのはちょっとひどくないか? あたしはルシファよりひとつ年上なだけだぜ」
 つとめて明るく言うと、ルシファもまた「そうだね」と明るい笑顔を見せた。
「ねぇ、お姉ちゃんはレイドのこと好き?」
「はぁ?」
 またもや、なんの脈絡もなかった。「あんなロリコン」と言おうとして、真っ直ぐなルシファの瞳にのぞき込まれ、言葉に詰まる。
「そ、そりゃあ……そうだなぁ、嫌いってわけじゃ――」
 そのとき、逢柝の武術家としての第六感が、危険を感じ取った。さっと手元にあったドライヤーを放り投げる。
 当たった。
「携帯の次はドライヤーかよ!」
 ルシファのことが心配で、廊下から顔だけ出していたレイドのおでこにクリーンヒットしたのだ。
「なに覗いてんだよ!」
「おまえがルシファにアブないことしないか心配だったんだよ!」
「おまえのストーカー行為の方がアブないっつーの!」
「また二人とも……」
「わっ! ルシファ、泣くな! おまえが泣くと……」
「ま、まさかこんなところまで来やしない……だろ?」
「ちょ、外で物音が!」
「え? うそ? マジで?!」
「悪かった! 俺が悪かったから、泣くな! 泣かないでくれぇぇぇ」
「ごめん。ホントにごめん。ルシファ、泣くなぁぁぁぁ」
 そのころ、須哉道場の裏で、黒猫が一匹、がさごそと物音を立てながらゴミ箱を漁っていたとさ。



☆クッキングは三分間で☆

 ルシファは箱アイスをお供に、居間でテレビにかじりついていた。この時間帯、MHKテレビではお気に入りのアニメが目白押しだ。「プリン食べた〜い」「忍術使ってみたいな〜」などなど、ひとりで大騒ぎしながらアイスをたいらげていく。
「ルシファ、アイスばっかり食べてると、晩ご飯が入らなくなるぜ」
 隣の台所で夕飯の支度をしていた逢柝が、手を休めずに言う。
「はーい」
 ちゃんとお姉ちゃんとレイドの分は残してるもんね。と、心の内でつぶやいて、アイスの箱を閉じた。残りが溶けないように、冷蔵庫にしまいに行こうと立ち上がりかけると、ちょうどレイドが風呂場から出てきた。頭からタオルをかぶり、上半身は裸という、いつもの親父スタイルだ。彼の、風呂上がり特有のリラックスしきった表情が、ルシファは好きだった。
 映画の中のレイドはいつも、ぴんと張りつめた雰囲気をまとっていた。自分を守るため、時には暴力をふるうこともあった。その行為をありがたいと思いつつも、避けられはしないものかと心を痛めてもいた。
 銀幕市に来てから彼は少しずつ変わってきた。このように安らかな顔を見せるようにもなった。
 見知らぬ人たちがいきなり暴力をふるってくることがない。それも理由のひとつだろう。でも、それ以上に逢柝や同居人たちといった、家族とも呼べる人々の影響が大きいと思う。
「ルシファ、アイスばっかり食べてると、晩ご飯が入らなくなるぞ」
 ルシファを見るなり、レイドが逢柝と同じことを口にしたので、思わず吹き出してしまった。
「それ、逢柝お姉ちゃんにも言われたよ」
「なに?! おい、逢柝! ルシファを叱っていいのは俺だけだ」
 レイドが逢柝に詰め寄る。
「あ? 叱ってなんかねぇよ。それより、こっちはもうできあがるぜ。そっちも早くしたらどうだよ?」
 逢柝は完成した料理をお皿に盛りつけているところだった。
「心配するな。こっちもあとは鍋をセッティングするだけだ。携帯コンロはどこだ?」
「もう春なのに鍋かよ」
「優れた料理は時季を選ばないんだよ」
「食材は時季を選ぶと思うけどな」
「うるせー」
 盛りつけを終え満足そうにしている逢柝。台所の収納棚を開け閉めしながらコンロを探すレイド。
 楽しそうにそれを眺めるルシファのもとにヴェルガンダが身をすり寄せてきた。レイドに洗ってもらい、ドライヤーまでかけてもらったのだろう。毛並みがふかふかしている。それをぎゅっと抱きしめ、ルシファは大きな声で言った。
「まるでお父さんとお母さんみたい!」
「はぁ? 誰と誰がっ?!」
「あ? なんであたしがこいつと?!」
 期せずして、同時に否定するお父さんとお母さん。
「えへへ。だって、二人とも仲がいいし」
「こいつと俺がぁ?!」
「こいつとあたしがぁ?!」
 期せずして、同時にお互いを指さすお父さんとお母さん。
 先にしかめっ面を崩したのはレイドだった。
「俺だったらルシファの父親になれるかもしれないが、逢柝が母親なんて、まぁ、どだい無理だしな」
 ふふんと鼻を鳴らしながら、なぜか自慢げに胸を反らす。
「は、はぁ? 逆だろうが! あたしならルシファの母親になれるだろうけど、レイドに父親なんて無理!」
「逢柝には無理だね」
「レイドには無理だ」
「よーし、じゃあルシファに決めてもらおうじゃないか」
「もちろん、いいぜ」
 話がおかしな方向に進んでいく。逢柝とレイドがこれまた同時にルシファに訊いた。
「俺の方がお父さんだよな?」
「あたしの方がお母さんだよな?」
「じゃあねぇ……ご飯がおいしい方!!」
 ルシファの宣言に、逢柝もレイドも双眸をギラつかせた。二人とも無言のまま、逢柝はものすごいスピードで料理を居間に運び、レイドはついに発見したコンロをセッティングする。
 逢柝の作った夕飯は、豚肉とトマトの照り煮をメインにして、ふっくら炊けたご飯とホウレンソウのサラダだ。「いただきまーす」とルシファが箸を手にした。まずは豚肉をひときれ取り、ご飯にのせる。猫舌のルシファは口に入れる前にだいぶフーフーと冷まさなければならなかった。その間、逢柝は固唾をのみ、握り拳に力を込めていた。
「おいしー!」
 ついに逢柝の手料理をほおばったルシファの口から、素直な感想が飛び出した。
「よっしゃ!」
 逢柝がガッツポーズをする。
 レイドは歯ぎしりしながら、煮え立ての山菜鍋を急いで椀によそった。ルシファに手渡す前にフーフーしてやるのも忘れない。
「えへへ、懐かしいね」
 この山菜鍋は、銀幕市に来る前、レイドがよく作ってくれたものだった。ルシファにとってはお袋の味とでも言えるものだ。だから、もちろん感想は、
「おいしー!」
 だった。
「ちょっとルシファ、同じおいしいじゃ、どっちが選ばれたのかわらねぇだろ?」
 逢柝が不満を口にすると、ルシファは「だってどっちも本当においしいんだもん。お姉ちゃんもレイドも食べてみなよ」と二人にも箸を勧めた。
 渋々といった様子で逢柝が山菜鍋をつぐ。レイドも照り煮に箸をのばした。
「……うまい」
「……おいしい」
 一口食べて、お互い自然と賞賛の言葉がまろびでた。逢柝の料理もレイドの鍋も、どちらも相手を思いやる気持ちに満ちた味だった。二人とも同じようにルシファのことを想い、心を込めて作ったのだから、おいしくないはずがないのだ。
「おい、逢柝」
「なんだよ?」
 少し言い出しにくそうにレイドが言う。
「こいつのレシピ、教えてくれないか? 今度、家でも作ってみようと思うんだ」
 逢柝は目を丸くしたあと、こちらも少し恥ずかしそうに返した。
「その山菜鍋のレシピを教えてくれたらな」
 ルシファが心底嬉しそうに胸の前で手を合わせてた。
「今度から、お姉ちゃんといても、レイドといても、どっちも食べられるね!」
 彼女は知っていた。逢柝もレイドも自分のことを本当に大切に思ってくれていることを。そして、二人がとても仲が良いことを。
「おい、ルシファ、肉ばかり食べるんじゃないぞ」
「ルシファ、よく噛んで食べな」
「うん!」
 宴はなごやかに進んでいく。ルシファが泣いて二人を困らせることはもうなかった。



☆おまけ☆

「おいおい、まさかいっしょに寝ようってんじゃないだろうな?」
 逢柝が枕を小脇にかかえて、仁王立ちしている。彼女の後ろではルシファが「わーい」と布団の上を転がっていた。
「お、俺はルシファのことが心配なんだよ!」
 レイドは今まさに逢柝の部屋から追い出されようとしていた。彼の分の布団は客間に準備してある。それなのにレイドは、逢柝の部屋で寝ると言ってきかないのだ。
「このロリコン! ふつう男子と女子がいっしょの部屋で寝るか?」
「ロリコンは余計だ! 今までだって俺はそうやってルシファを守ってきたんだ」
「今夜はあたしが守るから大丈夫だっての!」
「そのおまえが信用できないんだよ!」
 こうした押し問答がかれこれ五分近くつづいている。すでにヴェルガンダは待ち疲れてしまい、廊下にうずくまっていた。
「私はレイドとお姉ちゃんと三人がいいな」
 大きく手を挙げて意見を述べるルシファに、逢柝が噛みつきそうな勢いで反論する。
「ぜっっっっっったいに、だーーーーーーーーーーーーーーめ!!」
「あのなぁ、俺はただ……」
 言いかけたレイドの背後で、かたりと物音がした。途端に全身で驚きを表現し、きょろきょろと廊下を見渡した。ヴェルガンダが身じろぎした音だとわかると、ほっと胸をなで下ろす。
「あれあれぇ」
 その様子から何かを確信した逢柝が、にやにやし出した。
「な、なんだよ?」
「もしかして、もしかして。レイドはひとりで寝るのが怖いんじゃ……」
「ばっ! 馬鹿言うな! 俺は大人だぞ! そんなことあるかっ!」
「あっ! レイドの後ろに!」
 逢柝が、ホラー漫画の一コマのように、恐ろしい表情で目を見開き、ずびしぃっと指をさす。
「ひぎゃっ!」
 蒼白になったレイドは、大げさでもなんでもなく、床から飛び上がり、目の前にいた逢柝に抱きついた。
「うわっ! ちょ、ま、なにすんだよ! このド変態っ!!」
 必殺の肘打ちがレイドの脳天に炸裂する。
「ぐはっ! お、おまえが脅かすからだろーがっ!」
「だからって、勝手に抱きつくんじゃねーよっ! さっさと離れろ!」
「ルシファ、ルシファ、助けてくれー」
「ルシファを守るどころか、助けを求めてんじゃねーか?!」
「ん?」
「あれ?」
 逢柝もレイドも、さっきまで元気に発言していたルシファが妙に静かなことに気づいた。ドタバタともみ合う二人をよそに、いつの間にかルシファはすやすやと寝息を立てていた。
「寝付き良すぎ!!」
 逢柝とレイドのツッコミにも、ルシファは目覚めることなく夢の中だった。

 一時間後。
 逢柝の部屋。
 丸くなったルシファを後ろから抱きしめる逢柝。その逢柝に、さらに後ろから抱きつくレイド。その隣にヴェルガンダ。
 三人と一匹の、寝息といびきがゆるゆると流れている。もちろん、プライバシー保護のため、誰が寝息で誰がいびきかは秘密だ。ただ、三人とも幸せそうな寝顔だった。

クリエイターコメント大変お待たせしました。三人と一匹のお泊まり物語をお届けします。

ギャグ、のち、ほのぼのという流れを意識して書きました。
なぜか今作は難産でした。五つの場面に関して、それぞれ一回ずつは全部消して書き直してます。
おかげでお届けがぎりぎりになってしまいましたが、オファーしてくださったみなさんが少しでも満足していただければと思っています。
公開日時2008-03-13(木) 20:50
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